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「在宅歯科医療と歯科技工」 ー菅 武雄 先生御講演ー

第18回神奈川歯科技工ネット研究会

 

「在宅歯科医療と歯科技工」

鶴見大学歯学部高齢者歯科学講座   菅 武雄 先生御講演

 

株式会社 ユーエスデンタルラボラトリー  宇佐美 孝博

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去る平成23年9月16日(金)かながわ県民サポートセンター会議室403号室において、神奈川歯科技工ネット研究会の第18回定例会が開催された。

 

今回は、「在宅歯科医療と歯科技工」というテーマで 菅 武雄 先生(鶴見大学歯学部高齢者歯科学講座)を招き、参加者32名を集め講演会形式で行われた。筆者のようにいわゆる普通の歯科技工に携わる者としては、普段あまりなじみのないテーマで、紹介された装置も初めて見るものばかり、患者との劇的な関わりなど終始興味深い講演となった。

 

冒頭、菅先生は、8月に歯科医療支援に行かれた宮城県南三陸町と気仙沼市の様子を数枚のスライドとドライブレコーダーの動画を交えて紹介された。以前に訪れたことのある南三陸町は、賑やかだった町が一変していて、がれきの撤去も進んでいたこともあって何もなくなってしまったとのことであった。隣の気仙沼市でもかつて見たことのある風景が崩壊している様子をみて、何かをやらなければと思う気持ちを強くしたとのことであった。

 

ニュース映像でも見たことがある4階建のビルの屋上に押し上げられた車など悲惨で津波の圧倒的な破壊力を示すスライドが続いた後、1枚の写真に目を奪われた。丘の上にある歯科診療所は完全に崩壊していて、デンタルユニットが庭で渦を巻いて山積みになっている写真。震災の様子は、さまざまな画像や映像で目にしてきたが、どこか俯瞰で見ているような自分がいた。しかし自らの仕事に直結する歯科診療所のありさまを目の当たりにするとリアリティを増し、そこにある現実にあらためて驚かされた。続いて先生は、1階が被災し崩壊している学校の写真を示され、「報道は常に断面しか報道しない」と言われ、その校舎裏のグランドいっぱいに隙間なく建てられた仮設住宅の様子を示された。被災も復興も生活も全部が同じ場所で存在している現実。まさに見てこなければ分からない状況だと理解できた。

 

先生方は1週間、歯学部の学生は1か月交代でチームを組んで被災地の子供たちの歯ブラシ指導に行かれたが、先遣隊から「子供の歯が危ない」「子供達が危ない」との連絡を多く受けていたとのこと。つまり、外出すると粉塵や放射能で危ないので避難所や仮設住宅の中で、支援による豊富なお菓子を食べながらマンガを読んでいる。そういう生活をストレスから止められない状況が子供の歯を蝕んでいるということであった。幸い、先生方が行かれた小中学校は指導が行き届いていた。それは、写真で示された被災した歯科診療所の先生が必死で指導していたからだそうである。菅先生のチームは、この講演の後の週末にまた再び被災地の健康管理支援に向かわれるとのことであった。

 

形態系歯学から機能系歯学へ」この講演の中で先生が何度も唱えられた言葉だ。補綴でいうところの機能は、義歯の機能であって、高齢者歯科学でいう患者本位の機能とは異なる。発音・摂食・嚥下障害に対応する治療や装置は、形態や時には理論をも超えて患者個々の障害に対応する機能を果たさなければならない。その、食べる・話す機能こそが機能系歯学の目指すものであるということだ。またその現場は、多くの場合通院できなかったり、寝たきりだったり、または入院中の患者なので想像を絶する治療になることもある。超高齢化社会が進む現在、この機能系歯学を通院できない患者に届くように準備しなければならない。まさに、“行かなければ会えない患者”がたくさん存在することを踏まえ、スタイルを変えなければならない時代がきているとのことだ。菅先生は、症例の中で特殊な装置を紹介すると共に患者が求める機能を明確にし、どのように回復させたかを明らかにした。またそれにとどまらず、その機能回復がもたらした家族や社会との関係の劇的な変化を感動的に伝えた。

 

症例1(口唇の咬傷による摂食・嚥下障害)

 

ICUに入院中のこの患者さんは、すれ違い咬合で義歯も入れられないので、唇を噛んでしまい口から食べられない。示された写真には炎症で真っ黒になった唇の傷口が映し出されていた。目標は口から安全に食べることであり、スプリントを製作し、それを入れることでリップサポートが生まれて唇を噛まずにゼリー状の食事を経口摂取することができた。9時に連絡をもらい、12時に間に合うように製作し、食事を観察し評価した。実際に装置が機能し、食事が摂れることを確認することが機能系歯学ということだ。長年仲たがいしていた娘さんと一緒に夕食を摂り、次の日の朝食も親子で食事をし、その夜、お亡くなりになったという。求められたらその時に行かなければもう会うことができない患者さんがいる。そんな急激な変化が起こりうるのが高齢者歯科学の現場なのだろう。結果的にはたった3度の食事のための装置になったわけだが、その3度はかけがいのない親子を繋ぐ食事になったわけであり、けっして無駄ではなかったと理解した。

 

症例2(ロンリーマウスシンドローム)

 

80歳代の女性の患者は、義歯を入れると吐き気がして、話せず食事もできないことで8年間も悩んで家に閉じこもっていたという。義歯の調整だけではまだ形態系歯学の範疇だが、目的はその義歯が使われて食べること、話すこと、笑うこと、歌うことである。そこで歯科衛生士が頻繁に訪問し、会話をし、家から連れ出して散歩したり、デイサービスに参加したりすることで義歯が機能しはじめた、という事例であった。この様なロンリーマウスシンドローム(寂しい口症候群)は、対象とする問題点として次のようなものが挙げられる。

 

1・個食←独居、引きこもり

2・口腔機能の低下

3・口腔乾燥

4・舌痛、不定愁訴

5・低栄養、脱水

6・誤嚥性肺炎

7・窒息事故

8・無縁死、孤独死さえもターゲットとして捉える

 

年間4000人もの窒息死がある現実に、携わる先生方は、自分の患者はけっして窒息させないことを最終目標に取り組んでいるとのことだ。そのことは無縁死や孤独死さえも防げる可能性を秘めている。つまり機能する義歯を装着することはもとより、積極的な社会参加を促すことにより、人との繋がりが生まれ、会話をし、一緒に食事をし、笑い、歌う、そのことが口腔の機能をより回復させることができるということだと理解した。

 

症例3(脳梗塞後遺障害麻痺による言語障害)

 

脳梗塞の後遺障害(麻痺)による言語障害の治療に装置の依頼が急速に増加していて、口の中を変えることによる治療となり、歯科にしかできない領域であるとのことだ。障害の位置による評価は、“パ”“タ”“カ”の発音で判断する。

“パ” 破裂音  唇の障害があると発音できない(口唇破裂音)

“タ” 歯茎音  舌前方の動きが悪いと発音できない

“カ” 無声軟口蓋破裂音   軟口蓋が動かないと発音できない

講演では“ラリルレロ”“アリガトウ”と繰り返す動画が流され、正しく発音できない様子が映し出された。上顎の形状を変えることによる治療であきらかに改善した様子がうかがえた。先生方は、内視鏡により咽頭内や鼻咽腔閉鎖機能を観察し、発音や食事の機能を直接評価しているそうで、一貫して行われている食事そのものによる機能評価と合わせて機能系歯学の強力なツールになっているものと思われる。

 

症例4(舌のポジション不正)

 

義歯を何度作っても機能せず、20年間食べられない患者。スライドには患者が持ってきた幾つもの義歯が並んでいた。義歯の機能を見るのではなく、患者の機能を見ることにより舌のポジションが悪いと評価し、リハビリテーションの適応と判断した。舌のスタートポジションを認識させるためにディンプルを形成し、バイオフィードバックを加えたことで義歯の浮上の制御が可能になり、食事ができたそうだ。本人の機能向上が望め、リハビリにより訓練が可能な症例にはあえて義歯を新製しなくても良い場合があるということだ。

 

症例5(舌や口唇の機能低下)

 

噛むことはできるが、頬に食物が溜まる。前述の症例と違い麻痺などにより本人の機能向上が望めない場合は、装具で補い代償的介入を行う。義歯の評価にはフィットチェッカーや咬合紙だけでなく、試験食品を使うことが機能系歯学であるということを、先生はこの講演の中で何度も繰り返された。それがいかに重要であるかを,この症例で認識することができた。また義歯についている汚れや残渣は、舌や頬粘膜が届いてない証拠なので機能評価に役立つとのことだ。

 

症例6(呑み込めない)

 

まず機能の観察をする。口唇閉鎖ができず舌も動かないため義歯を押してしまい、送り込みができず、咀嚼もできない。その評価は、口腔機能の低下による嚥下障害と判断することとなった。これは、義歯を変えても改善しないことを表していて、機能のアプローチを先に加えなければならないことを意味している。

先生方は、チームアプローチとして、医師、歯科医師、看護師、歯科衛生士、管理栄養士、理学療法士、言語聴覚士、作業療法士で補助装置、義歯、嚥下訓練、口腔ケアのことを考えていて、このチームに歯科技工士も参加することが望まれているということだ。

このケースでは、口唇閉鎖の訓練をし、姿勢を変え、舌の機能を上げたのち義歯の調整、リラインをし、水にとろみを付けて安全に調整するなど代償的介入を試みた結果、それから6年間経過した今でも経口摂取ができているということだ。

 

 

この後、菅先生は特殊な装置を3種紹介した。

 

◆ PLP(palatal lift prosthesis)軟口蓋挙上装置

軟口蓋拳上、鼻咽腔閉鎖機能改善することにより嚥下、発音の改善を促す

嚥下時の鼻咽腔を内視鏡により観察しながら閉鎖機能を確認する

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PAP(palatal augmentation prosthesis)舌接触補助床

多系統委縮症の患者など舌が動かず送り込めない状態の時、舌と口蓋の接触状態の改善のため空隙を埋めるように口蓋に装着。

ティシュコンディショナーの粉をふりかけ状況を評価

咳をする訓練を内視鏡の映像を見ながら訓練

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スワローエイド(swallow aid)嚥下補助装置

送り込み障害に対応するための上顎の義歯だけの装置

臼歯部の人工歯の代わりにレジンのランプが付与される

 

 

普段、我々のように技工室で仕事をしているだけでは得られない劇的な症例の連続であった。中でも、筆者がこの講演の中で一番感動したエピソードはPLP装置の説明の際に披露していただいたALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんのケースだ。病気により鼻咽腔閉鎖機能が失われ、”カ“が発音できない症状。スクリーンに映し出された内視鏡の映像でも開鼻声の状態が見て取れた。PLP装置により鼻咽腔が狭められて閉鎖が確認された。想像するだけでも慎重さが要求される難しい治療だが、患者さんがそこまでしても得たかった”カ“の発音。それは、高校生の母親であるこの患者が、塾から帰った息子にかける「おかえり」という言葉になった。たった一言が、彼女の望みであり、社会性の回復に繋がった。残念ながら2か月後に亡くなった彼女だが、亡くなる数秒前まで家族と会話していたそうだ。

 

「形態系歯学から機能系歯学へ」この講演を通して語られたテーマだ。失われた機能を回復するための治療や装置は、患者の下でしか得られず、一緒に迎える喜びの瞬間も感動もそこにしかない。菅先生は、歯科技工士もこの場に参加し、チームアプローチの一員になることを望んでおられた。我々としても、どの様にして関わっていけるか検討してみたいが、一部の大学や病院勤務の歯科技工士を除き、一般のコマーシャルラボに勤務するものにとって、その環境は極めて厳しいと言わざるを得ない。ボランティアに近い関わりならば可能かもしれないが、それでは一過性のものに終わってしまう。時間的、経済的に採算の取れる形による取り組みができないか検討しなければならない。しかし、歯科技工士にとってその感動を実感する機会が少ないのは確かなことで、それを増やすことが、もしかすると、増え続ける離職問題を解決する一因にもなるかもしれない。

 

講演終了後、司会の藤田氏は、「日々の仕事でインプラントの先進性や審美歯科やオールセラミックに偏重された自分が、頭をガンと殴られたような気持ちになった。」と感想を述べられた。

 

また会員からの「日本摂食・嚥下リハビリテーション学会の会員ですが、病院勤務の歯科技工士は携わる機会があるが、在宅診療に歯科技工士が対応する方策は?」の質問に「チェアサイド、ベッドサイドに出かけ、多くの機能的情報を得ることが必要である」と答えられた。

 

筆者の「歯科技工士が機能的情報を取得するための具体的な伝達の仕方は?」との問いに「現場での調整が必要である。PLPでは徐々に強く押していくように盛っていくので、その場に歯科技工士がいれば助かる」とのお答えを頂いた。今思えば、「その場に行かなければ機能的情報は得られない」と、この講演中何度も述べられていたのに、「伝達の方法は?」などと聞いてしまったことに、我ながら普段の仕事の仕方に毒されているとの恥ずかしい思いが残った。

 

さらに会員から「補助装置を使って嚥下の補助としてのみなのか、生体機能の回復が見込まれるのか、補助装置をはずしても働きが良くなるのか?」の質問に、「訓練用と代償用とは別であり、進行し、いずれ死を迎えるのが前提で期間を設定し、その上で試用期間を設定する」とのお答えだった。

 

今回の講演は、鶴見大学のご厚意によって講演料を無料にしていただいた。尽力してくださいました鶴見大学歯学部 歯科技工研修科 水野行博先生と、ご講演いただいた菅先生にもう一度感謝し、拍手の内に講演会は閉幕となった。

 

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軟口蓋挙上装置(PLP)-【palatal lift prosthesis・パラタルリフト】

口蓋床の後方へ延長した挙上子によって軟口蓋を挙上させて鼻咽腔を狭くすることで口腔鼻腔を分離させ,講音障害・嚥下障害の改善を目的とする口腔内装置.鼻咽腔閉鎖機能を賦活させその機能を回復する症例もある.

 

舌接触補助床(PAP)-【palatal augmentation prosthesis】

舌の運動障害あるいは量(舌体積)の不足により発音および咀嚼・嚥下機能に必要な義歯床の口蓋部を肥厚させた形態を付与することによって舌の口蓋への接触を容易にし,口腔機能改善をはかることを目的とした口腔内装置.悪性腫瘍などによる舌・口底部切除症例あるいは舌運動障害を伴う疾患のリハビリテーション等がその適応となる.平成22 年度歯科診療報酬改定より保健収載された.

 

嚥下補助装置-【prosthetic appliance for swallowing disorder】

先天的,後天的な形態や機能の異常による嚥下障害(口腔期,咽頭期,食道期の運動障害)に対して,リハビリテーションの目的で使用する口腔内装置の総称.口蓋裂に対するHotz床,パラタルリフト,スピーチバルブなどの補助装置.上顎切除などによる実質欠損に対する顎義歯,舌切除や高次脳疾患による舌の運動障害に対する舌接触補助床などがある.

 

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